ソフト使用スキャンダルにみる日本人の法学教養の低さ

今回のソフト使用スキャンダルでもよく感じたことですが、日本人は法学の一般教養がありません。旧帝大法学部3年生で民事裁判と刑事裁判の違いを理解していない人に会って驚いたことがありますが、今回の事件で弁護士ですら「こんなことも知らないのか」と驚きました。
まず、調査する者も判断する者も人間である以上、裁判で過去の事実が完全に明らかになり、完全に適切な判決がでるわけではありません。どんなに大人数でどんなにお金をかけて調べても、明確にならない過去はあります。どんなに高潔な人がどれだけ時間をかけて考えても、その判決に法律上の疑問点を見つけることはできます。それが分かっているから日本では三審制がとられていますが、たとえ三回裁判しても万能ではありません。そんな当たり前のことを多くの人が知らないようです。
私には、こんな小さな事件で「冤罪」と騒ぐ人たちが不思議でなりません。日本の司法にはもっとひどい不正義が蔓延していることを知らないのでしょうか? 知らなければ、ぜひ「アメリカ人のみた日本の検察制度」(シュプリンガーフェアラーク東京)を読んでほしいです。とはいえ、あの程度の事件で「冤罪」と騒ぐ人が、この書を読みこなせると思えないので、「和解という知恵」 (講談社現代新書)や「絶望の裁判所」(講談社現代新書)を読んでみるといいと思います。
また、本当の冤罪事件(冤罪可能性が高い事件)である「再審無罪・東電OL事件 DNAが暴いた闇」 (中公文庫)や「狭山事件の真実」(岩波現代文庫)を読めば、上のソフト使用事件を「冤罪」と呼ぶ人に呆れる私の気持ちが分かると思います。プロ棋士の不正事件なんてほとんどの日本人と一生全く関係ないでしょうが、上の二つの事件などは、全ての日本人でも陥る可能性がある上に、受けた損害も甚大な冤罪事件です。もし社会の不正義が許せないのなら、まずこちらの不正義と戦うべきでしょう。
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